務武の生存の可能性を探る
メアリーの夫であり赤井秀一、羽田秀吉、世良真純3兄妹の父親である赤井務武。
生死不明とされている務武ですが結論から述べれば彼は生存している可能性が高いと思います。
今回は赤井ファミリーの存在から務武の生存の可能性を読み解いていきます。
◆ベルモットの行動から見えてくる務武の生死
まず務武生存の可能性をベルモット視点で見てみましょう。
ベルモットは務武に成りすましMI6への潜入を目論んでいます。
彼女は世良の存在こそ知りませんでしたがそれでも彼女の務武の変装はMI6の注意を3年引き続ける程のレベルでした。
容姿だけでなく口調も務武そのものだったと言えるでしょう。
つまりベルモットは務武とただの顔見知り程度の付き合いではなかったはずです。
務武をよく知っているベルモットが務武はMI6に復帰しないと判断しているのであれば必然的に務武は既に死亡している可能性が高まります。
ですが務武が息子の秀一のように死を偽装したという可能性は捨てきれません。
かねてより赤井ファミリーは務武からの影響を強く受けているのが見て取れます。
偽装死した息子の生き様は父、務武のかつての選択そのものなのかもしれません。
◆赤井ファミリーの存在意義
私が務武が生存している可能性が高いと考える大きな根拠が赤井ファミリーの存在にあります。
赤井ファミリーはそれぞれが務武のパーツの一部を持っています。
1人ずつ具体的に見ていきましょう。
まずはメアリー。
彼女は務武の口調をそのまま真似ています。
これは彼女が務武に代わり父親の役目を担うという10年前の決意の表れです。
同時に彼女が務武の口調で発言するのにはもう一つ非常に大きな意味があります。
それは読者に赤井務武という人物について推理させる事。
事実読者はメアリーの口調と口癖などから務武の人物像を探っている状態。
そして彼女は務武と同じくMI6の一員でもあります。
メアリーは務武の妻であり、そして務武の存在の一部分を切り取って誕生したキャラクターと言えます。
次に長男の赤井。
彼は截拳道の使い手ですがこれは父である務武の影響です。
また赤井が喫煙者である事や帽子を被るのも務武の影響だそう。
さらに赤井の口癖である「50:50」も本来は務武の口癖でありそれが赤井にも移っている事がメアリーの口から明かされています。
赤井の中にも務武の一部がしっかりと組み込まれています。
そして次男の秀吉。
彼は3兄妹の中で唯一外見が父親似の人物です。
98巻で犯人にあっさりと監禁されてしまった事から身体能力や危機管理能力は高いとは言えません。
しかし彼は作中屈指の優れた推理力の持ち主として存在感を放っています。
務武は非常に卓越した推理力を持っている事が作者の口から明かされています。
秀吉の外見や高い推理力は務武譲りと言えます。
最後に長女の世良。
務武が姿を消してから誕生した為彼女は務武と面識はありません。
その世良ですが赤井の影響で截拳道を習得ていますし、探偵になったのも赤井の影響。
つまり世良は間接的に務武の影響を受けているわけです。
これは父親である務武が彼女の中で生きている事を意味しています。
このように赤井ファミリーはそれぞれが務武のピースを持っています。
そして赤井ファミリーが持つそれらのピースを組み合わせる事で赤井務武というパズルが完成するんです。
裏を返せば作者は赤井務武の人物像を非常に細かなところまで設定している事になります。
それぞれが持つ独自のピースから務武の素性を読者に推理させているにも関わらず実はその務武は既に死んでいたという結末は釈然としないものがあります。
赤井家の存在そのものが赤井務武の生存の示唆と取る事は十分可能なはずです。
◆メアリーは務武の死を受け止めきれていない
務武の生存の可能性は「さざ波の魔法使い 92巻」のあるコマからも読み取る事ができます。
メアリー「主人が死ぬ前…この安全な国に私達を送った時に言った言葉を…「いいか、この先、私はいないものと思え…どうやら私はとんでもない奴らを敵に回してしまったようだ…」—っていうあのメールをね…」
こう語る彼女の背景に務武からのメールが表示されたスマホが確認できます。
このメールですが、実は奇妙と言えるんです。
何故なら務武がメアリーに別離のメールを送信したのは17年も前の事。
17年前と言えばまだスマホは普及していませんでした。
コナンの世界においてもそれは同様のはずです。
つまり務武はメアリーのスマホにメールを送っていないはずなんです。
ではなぜ務武のメールが表示されたスマホが登場したのか。
時代背景を考えれば務武はメアリーのガラケーやパソコンにメールを送信しています。
その務武からの最後のメールをメアリーが消去する覚悟がなかった為にそのメールをスマホに大切に保管していると考える事ができます。
メアリーが務武からのメールの消去ができなかったという事が務武の生存の可能性を高めていると言えるんです。
なぜならメールを消去しないというメアリーの判断はコナンの作中における「正しい死者の扱い方」が出来ていないと考えられるからです。
ではコナンの作品における正しい死の受け入れ方とはどのようなものなのか。
高木「ダメですよ忘れちゃ…」「それが大切な思い出なら忘れちゃダメです…人は死んだら、その人の思い出の中でしか生きられないんですから…」
かつての想い人で故人の松田を忘れられない苦しみを抱えた佐藤に向けた高木の言葉です。
この高木の言葉を受けて佐藤は松田からのメールを消去し、彼を心の中で生かす事ができるようになりました。(37巻)
また安室も同様に亡き友人の伊達からのメールを消去しています。(77巻)
「死者は残された人間の心の中で大切な思い出として生きていくべきである」
これがコナンの作中における正しい死の受け入れ方ではないでしょうか。
そして恐らくこの考えに反しているのが組織でしょう。
「我々は神であり悪魔でもある…なぜなら…時の流れに逆らって…死者を蘇らそうとしているのだから…」 37巻
コナンの世界では死者との思い出の大切さを読者に分かりやすく伝える手段の1つとしてキャラクターにメールの消去をさせているのだと思います。
つまりメールを消去できていないメアリーは「正しい死者の扱い方」というコナンの作中における重要な課題をこなせていない事になるんです。
同じく息子の秀一もかつての恋人である明美からのメールを消去していません。
FBIの話や赤井が明美からのメールを屋上で1人じっと見ていた事を考えるとやはり彼は明美の死を引きずっているのでしょう。
ですが彼の場合はいまだ明かされていない明美からのメールの続き、P.S.の内容が大きな意味を持っているはずです。
沖矢「車の中で待ちませんか?」
灰原「そうしたいのなら無理やり連れ込めば?」
沖矢「そんな無粋な真似はできませんよ…」
(彼女との約束なんでね…) 77巻
物語を見る限りP.S.の内容は妹の志保を守る事。
彼がこのメールを消去すれば明美との約束を反故した事になってしまいます。
赤井がメールを消去していないのは明美から彼に与えられ、そしてまだ完全に達成できていない任務がこのメールの中に含まれているから。
赤井の場合はメールを消去しないのが正解のパターンと考えるべきです。
ですが務武からメアリーに送られたメールと言えば「私はいないものと思え」という内容ですから本来なら消去が妥当。
死んだと考えているのであればなおさらです。
コナンの作中の基準から考えるとやはりメアリーは務武の死を正しく受け入れる事が出来ていないと言えそうです。
子供に「父は死んだ」と伝えていながら本人は夫の死を受け止め切れていない。
そのメアリーが自分の中にあるこの矛盾にケリをつける為には次の項目で記述している通り務武と再会するという可能性が高いんです。
◆自分を偽るメアリー
メアリー「行け秀一!その熱病でお前の命が尽きるまで…真実を覆い隠す霧を一掃しろ!!その代わり靄一つ残したら許さんぞ!!」
秀吉「どうしたの母さん?口調がまるでお父さんみたいだよ?」
メアリー「今日から私が父親代わりという事だ…」 92巻
このような口調と抜群の身体能力から男勝りな印象を与えがちなメアリーですが実は彼女は非常に女性らしい人物と言えます。
メアリー「女の子なのにもぅ…鼻の下にチップスの塩が付いちゃってるじゃない!」 92巻
口調が現在の務武のものになる前に真純を注意した時の一言です。
女性らしさを大切にしている人物という事がよく分かる台詞ですね。
また彼女は来ている服やホテルの内装などかなりかわいらしいものが目立ちます。
愛用しているハンカチもこれでもかという程に女性らしさに溢れたデザインです。
メアリーは女性らしさを大切にしている人物。
中年の男性の口調で話すのは本来の彼女からかけ離れた姿と言えます。
このように現在のメアリーは自分自身を偽っている状態と言えます。
特に彼女は少女化している為口調だけでなく外見も偽りの姿です。
そもそも口調を真似るというのは自分を通して務武を生かすという事。
夫の死を心から受け止めきれていないからこその行動なんです。
メアリーの言動は死者との思い出を大切にする事が正解とされているコナンの作中において相応しいとは言えません。
彼女はいつかこの偽りの自分を脱ぎ捨て真の意味で本当の自分に戻らなければなりません。
そしてその手段は務武と再会するか務武の死を完全証明できる情報に接するかどちらかしかありません。
後者の務武の死の確認ですが実は既に死んでいました、なんて話だけをされても今更メアリーに大きな変化は生まれないでしょう。
務武が死んでいく様子がビデオに残っているとしてもこの手段は息子が使っていますから無いと考えるべきでしょう。
仮に残っていてもやはり偽装死を疑う展開にしかなりません。
既に務武が故人である場合、かれこれ10年本当の自分を押し殺して生きてきたメアリーに務武の死を納得させる材料を用意するのは難しいのではないでしょうか。
務武の遺体と対面すればもちろん話は違ってきます。
ですが先述の通り赤井ファミリーの存在を通して務武の人物像を読者に推理させている。それだけ務武には詳細なキャラクター設定がある。
それなのに務武は既に死んでいたという展開は好ましいとは言えないでしょう。
やはり務武は生存している可能性が高いと言えそうです。
赤井ファミリーの存在そのものが務武の生存の可能性をぐっと引き上げていると考えていいのではないでしょうか。
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